福生七夕まつりの歴史

1951年7月6日

1951年7月3日福生七夕まつり1951(昭和26)年、女性の平均寿命が60歳を超え、国内は朝鮮戦争の特需景気にわいていた。この年、福生は人口1万5千の町で、7月6日、福生駅前の中央商栄会で「ふっさ七夕まつり」が産声をあげた。当時、駅前通りの幅員は8メートルほどだった。

福生七夕まつりの起源は仙台七夕まつり

仙台がヒントになった福生七夕まつり古くから七夕行事で名高い仙台市。第二次世界大戦の空襲で一面焼け野原になった時も、商店前に大きな竹を立て、くす玉を飾り七夕まつりを行ったそうです。当時福生町職員だった佐藤三郎さんはその仙台の様子について「色とりどりの竹飾りで瓦礫の山だった町がとても明るくなった」と感動し、その想いが福生の七夕まつりの誕生のきっかけとなり、今日の盛大なお祭りにつながっています。